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解説『ハイペリオン』司祭の物語

ハイペリオンの6つの物語のうち、一つ目の司祭の物語について紹介、解説します。 司祭の物語は、ホラー担当ともいうべき最も不気味な物語であり、ハイペリオン四部作への導入を担う物語です。

前回のプロローグはこちら。 yayoi-tech.hatenablog.com

司祭の物語:神の名を叫んだ男

 巡礼者の名はルナール・ホイト。パケムというキリスト教の惑星で生まれ育ったキリスト教カトリック派の神父である。ホイトの惑星外での初仕事は、ポール・デュレをハイペリオンに送ることだった。ポール・デュレは、聖職者であると同時に、考古学者、文化人類学者としても高名で、将来の教皇を目されるほどの人物だった。しかし、デュレは汚職によって失脚することになる。破門がささやかれるなか、デュレに下された決定が、辺境のハイペリオンへの赴任であった。いわば左遷である。ホイトの役目は、デュレが任地へ赴任するまでの監視役だったのである。

 パケムとハイペリオンを往復するのに必要な時間は、パケムの時間で8年であった。ホイトがデュレをハイペリオンに送り届けてから、また4年の歳月をかけてパケムにとんぼ返りすると、デュレは4年前にハイペリオンに到着して以来、行方不明であることが明らかになる。そして、ハイペリオンの現地当局もデュレを捜索したが、ついに探し出せなかったという。ホイトはデュレを捜索すべく、再び4年の歳月をかけてハイペリオンを再訪する。そして、7か月の捜索の後、ホイトはついにデュレの遺骸と、彼の日記を見つけ出した。そして、デュレの日記から、ホイトはデュレの身に起きた真実を知る。

 デュレの日記によれば、デュレはハイペリオン赴任時には既に信仰心を失いかけており、ハイペリオンでの自身の活動には、聖職者としてではなく、文化人類学者としての展望を持っていた。ハイペリオンには原住民族としてビクラ族と呼ばれる存在が確認されていた。数少ない報告によると、ビクラ族は、何世紀も前にハイペリオンへと遭難した播種船コロニーの生き残りではないかと推測された。文化人類学者としての知見を持つデュレは、ビクラ族に興味を持った。ハイペリオンに到着してからおよそ3か月後、ついにデュレは、炎精林の嵐を越え、大峡谷と呼ばれる未開の内陸部でビクラ族に遭遇する。

 しかし、ビクラ族は見るからに不自然で奇妙な存在であった。一様に背が低く、体毛が無い。黒いローブをまとっており、男女の見分けは困難である。表情に乏しく、常に微笑を浮かべているが、知性の欠如、あるいは痴呆の症状が認められた。ビクラ族に遭遇する少し前、デュレが雇ったガイドが殺害された。獣に襲われたという類ではなく、夜中、寝ている間に人の手によって首をかき切られたのだ。デュレが雇ったガイドを殺害したのは、ほぼ確実にこのビクラ族であった。

 ビクラ族がガイドを殺害し、デュレを殺害しなかった理由は、どうやら、デュレが持っていた十字架に関係するらしいことが、ビクラ族の言葉から分かった。デュレによる奇妙なビクラ族の観察日記は続く。まず、彼らには個人の名前が存在しない。自分のこと、あるいは自分たちのことを常に<六十人と十人>と呼ぶ。表情や声からは男女の区別がつかない。子供がいないことはデュレを混乱させた。彼らの外見は年齢不詳であり、若いのか老いているのかすら判断できなかった。さらに彼らの生活には一切の知性が感じられない。無気力で愚鈍であり、食料の採取と、午後の昼寝を除けば、何もしないまま時間を過ごす。デュレが翻訳機を片手に質問をしても、意味のある会話が成立しない。ビクラ族が人間としての営みを数世紀にわたって継続してきたのであれば、デュレの観察は全て異常な光景を呈していた。

 やがてデュレはビクラ族の真実にたどり着く。ビクラ族には、聖十字架と呼ばれる十字架状の物体が体に張り付けられており、これはどうやっても外すことのできない一種の寄生体であった。聖十字架に寄生された人間は、死ぬと聖十字架の能力によって蘇生することになる。死んだ細胞が腐敗すると、聖十字架はそれらを寄せ集めて、再び新鮮な肉体を構成させるのだ。ビクラ族は、長い間、寄生体の能力によって死と蘇生を繰り返してきたのだ。その繰り返しの中で、生殖機能や知性が失われていったのだとデュレは考察する。ビクラ族に子供がないことも納得できる。そして、デュレは自らの体に張り付けられた聖十字架を見ながらも、なんとか正気を保っていた。デュレはハイペリオンの迷宮の中で、シュライクが傍らにたたずむ中、ビクラ族によって聖十字架を授けられたのだ。

 大峡谷を出ようとすれば、聖十字架が痛みを与え、そこから離れることを許さない。ここに居続ければ、やがて死に、そして蘇生するだろう。何回か繰り返せば、ビクラ族と同化してしまうに違いない。デュレは忌まわしい寄生体を調べつくしたが、その機能については手掛かりすら得られなかった。分かることといえば、ビクラ族と聖十字架にまつわる、およそ人間的ではない狂気の事実ばかりであった。やがて、デュレはそんなことはどうでもいいと考えるようになった。もっと重要な問題を気にし始めたからだ。それはつまり、神はなぜこのような存在をお許しになったのか。ビクラ族はなぜこのような形で罰され続けるのか。自分はなぜこの運命に選ばれたのか。正気と狂気の間で、デュレは信仰心を取り戻しつつあった。ついに、デュレは炎精林の雷撃をもって聖十字架を破壊することを決意する。たとえ、その雷撃によって自身は死のうとも、デュレは聖十字架によって人間性を失うことを拒んだのだ。デュレの決心と祈りの言葉を最後に、日記は終わる。

 ホイトがデュレを発見したとき、デュレは炎精林の大樹に磔にされていた。デュレが自分で自分を磔にしたのだ。ホイトに発見されるまでの7年もの間、デュレは磔にされたまま死と蘇生を繰り返した。デュレは日記を入れた石綿草の袋を首から下げていた。ホイトがその袋を取ったとき、同時に聖十字架が落ちた。ついに、デュレは聖十字架に打ち勝ったのだ。

 デュレを捜索するホイトは、デュレと同じような境遇でビクラ族に出会った。ただ違ったのは、ホイトがより組織的にデュレを捜索していたことだ。ホイトがビクラ族に捕らえられた翌日、ホイトのガイドがホイトを救出した。そして、ビクラ族の村を破壊しつくし、なすすべを持たないビクラ族を皆殺しにした。しかし、ホイトの体には、すでに2つの聖十字架が貼り付けられていた。ホイト自身のものとデュレのものが。ホイトが死んだとき、腐敗しゆくホイトの死体からは、おそらくホイトとデュレが復活するに違いない。最初は鎮痛剤が効いた。しかし、年々痛みはひどくなっていき、どのみちハイペリオンに帰らざるを得なかったのだとホイトは悟るのだった。

解説

ハイペリオン四部作の堂々たる幕開けが、この司祭の物語です。

この物語の最大の特徴は、日記形式の展開を全体に貫かせながら、日記形式の物語が持ちうる二つの要素を両方とも取り入れていることです。すなわち、前半は純粋な紀行文として、旅、冒険を通してハイペリオンという物語の舞台を紹介する要素を持ち、後半はビクラ族と聖十字架にまつわる狂気の事実に触れた、ホラー、サスペンスといった要素を持つことです。この二つの要素の切り替わりがまた絶妙で、紀行文としての魅力に惹かれて読み続けたかと思えば、ビクラ族との遭遇辺りで一気に空気が不穏になります。その落差が、司祭の物語のホラー要素をより効果的にしています。

それにしてもハイペリオンは自然豊かな星であることが分かります。人間は文字通り自然の一部を切り開いて農場を興しているだけで、ハイペリオンには人の手が届いていない土地がたくさんあります。放電する雷吼樹、それらが生い茂った炎精林、巨大な山脈や巨大な渓谷が、人間の開拓を阻んでいるのです。

この物語の背景には失墜したキリスト教の存在があります。キリスト教はこの時代の人の信仰心に合致したものではなく、連邦社会の主流からは外れ、古風で孤立し、忘れ去られつつある存在でした。

この物語における最大の謎は聖十字架です。聖十字架は、人の体に寄生し、死んだ肉体を蘇らせる狂気の機能を持った存在で、それ以外の全てが謎に包まれています。この謎は司祭の物語の中で解明されることはありません。しかし、続く『エンディミオン』、『エンディミオンの覚醒』では聖十字架は重要な役割を持ちます。聖十字架は<時間の墓標>やシュライクに次ぐ最大級の象徴であることに間違いなく、キリスト教的な価値観は四部作全体を通して重要な価値観になっています。例えば、後に続く学者の物語では根底にイサクの燔祭があります。残念ながら私はキリスト教について多くを知りませんが、物語をより楽しむにはキリスト教の教養が必要であろうと考えています。

ビクラ族はハイペリオンにおける最初期の開拓民の末裔のようです。デュレ神父の日記では、大峡谷の近くに彼らが乗っていたであろう播種船の残骸を発見したことが記されています。彼らがキリスト教徒であったかは定かではありませんが、その可能性はあります。デュレ神父は、ビクラ族の居住地の崖下で、彼らが信仰する大聖堂を発見します。デュレ神父はその大聖堂をビクラ族が作ったものではなく、数千年、あるいは数万年前に造られたものであろうと推測しています。ビクラ族は、いつしか聖十字架に寄生されるようになり、死と蘇生を繰り返すうちに、知能低下、生殖機能の喪失を引き起こしました。

次に謎めいているのはハイペリオンの迷宮についてです。ハイペリオンは迷宮九惑星のひとつです。連邦統治下の探検可能な数千の惑星を探査しても、迷宮があるのは九つの惑星だけです。それぞれの迷宮が、およそ七十五万年も昔に掘られたものです。迷宮は地中深くに設けられており、地殻を縦横に貫いています。そのトンネルの断面は一辺三十メートルの正方形であり、完璧に滑らかで直線の壁面は、自然が生み出したものではなく、未知の技術によって掘削されたものでした。

デュレ神父に聖十字架が授けられる場面において、迷宮、シュライク、聖十字架が一点に交わります。司祭の物語が投げかける謎は、迷宮、シュライク、聖十字架の存在についてです。

余談ですが、ダン・シモンズの処女作である『黄泉の川が逆流する』は短編でありながら、司祭の物語に通ずる不気味さをもった作品です。この不気味さは、著者の根底にあるセンス、持ち味と言えるかもしれません。長いハイペリオンの物語の初手に司祭の物語を持ってくるあたりに、著者の隠れた意気込みを感じます。

続く。

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