弥生研究所

人は誰しもが生きることの専門家である

【読書感想文】三体

結局のところ、私にとって SF の最高峰といえばハイペリオン四部作である。それは、この度、三体を読んだ後も変わりがない。とはいえ、三体は十分刺激的で楽しめた。日頃から小説は速読するものではない、通勤の合間にチマチマ読むくらいがちょうどいいのだと考えている私ですら一日で読み切るほどであった。決してボリュームが少ないわけではない。読み終わるころには、目がショボショボになって辛いくらいだった。それでも、読み切ってしまいたいと思える物語の展開。私ごときが語るまでもない(語るけど)。

あらすじ

本書の冒頭は、物語上の冒頭とは一致しない。文化大革命の強烈な内ゲバの描写から始まる本書の冒頭は、物語上の重要な転機を作る背景を描写するためである。物語はむしろ、現代の中国を舞台にして始まると言っていいだろう。

汪淼(おうびょう)はナノマテリアルを専門とする物理学者である。汪淼は半ば強引に、得体のしれない軍事施設に連行されていた。そこで聞かされた話によると、ここ二か月の間に、多くの科学者たちが不審な自殺を遂げているという。その真相を捜査するために、汪淼にある種の協力をしてほしいというのである。渡された遺書の一つを読んで、汪淼は呆然とする。

すべての証拠が示す結論はひとつ。これまでも、これからも、物理学は存在しない。この行動が無責任なのはわかっています。でも、ほかにどうしようもなかった。

場面は変わる。葉文潔(ようぶんけつ)は、1969年の文化大革命のさなか、父を失った。文化大革命の暴力が知識階級にある父を殺したのだ。それは、葉文潔の精神に大きく深い傷を残した。時代の狂気と正気の間を浮き沈みするなかで、葉文潔は自らの体験を理性的に顧み、ある結論を導き出した。

人類がみずから道徳に目覚めることなどありえない。(中略)もし人類が道徳に目覚めるとしたら、それは、人類以外の力を借りる必要がある。

それは、葉文潔にとって決定的な価値観となる。

物理学の絶望、道徳の絶望

正直なところ、現代の日本人には、思想が全てであったこの時代の中国を的確に想像するのが難しいかもしれない。もしかしたら、現代の中国人ですらそうかもしれない。文化大革命毛沢東(もうたくとう)が復権のために主導した革命である。当時の毛沢東は自らが施行した大躍進政策の失敗によって失脚していた。大躍進政策は人類史上最大の犠牲者を出した社会主義政策であり、この失敗により毛沢東国家主席を辞任した。後継の劉少奇、鄧小平らは経済を立て直すために市場経済を部分的に導入し、経済は回復の兆しを見せたが、毛沢東は彼らの政策を「共産主義を資本主義に修正するもの」として批判した。これが、文化大革命の始まりである。

1958年から1961年までの間に行われた大躍進政策の犠牲者は、七千万人以上との指摘がある。また、文化大革命は1966年からおよそ十年に渡って継続され、その犠牲者は数百万人から数千万人と推測され定かではない。いずれにしても、近現代の中国の歴史が長らく暗黒時代であったことは間違いない。葉文潔が人間の道徳に対して絶望した背景には、中国の歴史が色濃く反映されているのだ。

それにしても、先に引用した葉文潔の価値観が秀逸で、読者としてはまた引き込まれる。人類が道徳に目覚めるには、人類以外の力が必要だというのだ。人類以外の力? 本書はSF小説だ。そんな表現をされたら、当然のごとく、地球外生命、オーバーロード、宇宙人、獅子と虎と熊、エトセトラの存在を意識せざるを得ない。人類以外の力が必要だというくだりは、本書(単行本)の29ページに早くも登場し、文化大革命の血みどろの描写の後に唐突に現れるものだから、否応なくワクワクさせられるというものだ。

ところで、物理学はかつて幾度となく絶望に直面してきた。そもそも物理学とは何だろうか。物理学の全体像についての概説から引用すると、次のとおりである。

物理学は、自然現象について、できるだけ簡潔かつ普遍的な見方を見いだそう、という学問である。

つまり、自然現象に対して、普遍的な見方が見いだせないとき、それが物理学にとっての絶望となる。今でも、科学では説明できない事柄はある。しかし、分からなことよりも、分かっていたことが覆されることのほうが衝撃が大きい。十九世紀までに確立した力学は、素粒子などの小さい世界や、天体などの大きな世界では成り立たないことが分かった。いまでは、ニュートンの運動の法則は、人間が直感的に把握できる空間的・時間的なスケールにおける近似理論と理解される。私たちはこの事実を冷静に受け止められるかもしれないが、二十世紀初頭の科学者たちが量子力学の黎明の中で絶望を感じたとしても不思議ではない。

遺書にある「物理学は存在しない」という言葉の意味は、自然現象に対して普遍性を導き出せない絶望を表している。その絶望が科学者たちを自殺に追い込んでいた。それほどの絶望を生み出した物理学は、いったい何に直面しているというのか。物理学にある程度の親しみを持ってきた人ならば、この好奇心は、物語を強力に牽引するエンジンになる。

三体問題

そして、特筆すべきは本書のタイトルにもなっている「三体」の意味についてであろう。三体とは三体問題の事を意味する。三体問題では、三つの天体が重力によって影響しあっているとき、それらの天体の軌道は、特殊な例を除いて一般に解けないとされている。それが現実的に何を意味するのかという視点を、SF小説という媒体で具体的に表現したところに、著者である劉慈欣(りゅうじきん)のオリジナリティがある。

ご存知の通り、私たち人間が住む太陽系の恒星は太陽ただ一つである。ただし、宇宙全体をみれば太陽系はどちらかといえば少数派であり、多くの星系は、二つ以上の恒星によって成り立っている。これを連星という。地球から最も近い恒星であるがゆえに、SFでも使い古されてきたアルファ・ケンタウリですら三重連星なのである。恒星が三つあれば三体問題により、恒星の軌道は予測できない。そんな世界にもし地球が置かれたとしたら何が起きるだろうか。地球において、一年はほぼ365日で、一日はほぼ24時間である。この規則性は、天体観測の積み重ねと暦法の進歩によるものだが、それが可能なのは、太陽と地球の運行が、予測可能な程度に安定しているからである。太陽が三つあったとして、三つの太陽と地球の運行に予測がつかないとなれば、ちょっと考えただけでも空恐ろしい推測を立てることができる。

さて、三体は本書で完結するものの、全体の構成は三部作になっており、『黒暗森林』『死神永生』が続く。もちろん、三体だけ読んで十分満足できる内容である。だからこそ、続編の邦訳が待ち遠しい。

三体

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